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ボディビルコンテスト出場まで その1

読了までの目安時間:約 5分

 

今までに出場したボディビルコンテストは、

東京オープン

東京クラス別

関東クラス別

東日本クラス別

などです。

 

 

最高順位は、東日本大会70キロ級で3位です。


 

 
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筋トレを始めた経緯

私が筋トレを始めたのは、高校2年の時です。当時はプロレスラーの体にあこがれていました。当時憧れていたプロレスラーは、ダイナマイトキッド、ハルクホーガン、ジミースヌーカなどです。

 

 

しかし、あるとき本屋で月刊ボディビルディングを見て衝撃を受け、はじめは「気持ち悪い!ここまではなりたくないなッ」と思っていました。

 

 

ところが!だんだんと興味が出てきて、ついには気が付いたら月刊ボディビルディングを購入するまでに至りました(笑

 

 

その後、月刊ボディビルディング略して「月ボ」は、20年以上にわたってかかさず購読し続けていました。

 

 

それからは、筋トレにどんどんハマっていきましたが、思ったように筋肉は付きませんでしたね。ちなみに、高校3年の卒業時、168cmで体重は60キロ程度でした。それでも、始めたときは52キロくらいだったので、8キロくらいは体重が増えたということでうれしかったのを覚えています。

 

 

 

 

なぜ筋肉が付かなかったのか?

当時は、今みたいにインターネットもなく、情報源といえば雑誌かジムで人に聞くしか方法がありませんでした。

 

 

今は、ユーチューブでほとんどの情報が手に入ります。しかし当時は、トレーニング法1つとっても本を参考にするしかなく、どれくらい追い込めばいいのか?また、フォームはどうなのか?といった根本的なことがわからないため憶測でやっていた部分がありました。

 

 

さらに、当時私は2交代勤務の仕事をしていて、夜勤の週はとてもトレーニングができる状況ではありませんでした。というのも工場の組み立てラインで働いていたので、体力的にきつかったからです。

 

 

結局、4年ほど勤めて転職しました。理由はやはり筋トレを思いっきりやりたい!そしていつかはボディビルコンテストに挑戦してみたい!という思いからでした。

 

 

 

中野ヘルスクラブ

当時、1990年ごろは今みたいにゴールドジムのような施設はありませんでした。そのため、ボディビルを本格的にやるとなると、個人のジムしか選択肢がありませんでした。

 

 

その中で、もっとも有名なジムは中野ヘルスクラブとサンプレイ、それにユニコーンというジムでした。

 

 

そして、そのなかでも中野ヘルスクラブは、当時のミスター日本覇者でもあった小沼敏雄氏をはじめ、有名なビルダーがトレーナーとして働いていました。

 

 

私は、迷わず中野ヘルスクラブに入会しました。ちなみに、転職先の希望も中野まで通えるようになるべく近いところを希望しました。そしてアパートも中野に借りて、すべてが筋トレ中心の生活でした(笑

 

 

ボディビルコンテスト出場まで その2へ続く

 

 

 

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